設計者・井口健 北海道百年記念塔を語る ⑧
建設
この仕事は自分の誇りです
──建築確認申請の方はどうでした?
百年記念塔は特殊建築物ですから建築確認申請をする前に日本建築センターの層建築物構造審査会というところで構造審査を受ける必要がありました。審査 会には40名程の先生がおり、慎重に審議検討されて承認をいただきました。そして確認申請の窓口は札幌市の建築指導課ですが、「建築センターで承認されたら、札幌市も承認します」ということですんなりおりました。
ただ塔には、エレベーターが設置されているんですが、この審査が撥ね付けられたんです。百年記念塔のエレベータは4階から上り下りするもので、その下は解放されています。そこで市の担当者は「エレベーターの下を人が通行するのは許可できない」というのです。
当時の建築基準法では、万が一エレベーターが落下した時の安全確保のために直下に空間を設けるように規定していました。もちろん、そのことは把握しておりましたから、落下しても階下に被害が及ばないよう二重に衝撃対策を講じて構造上耐えられる設計をしたのです。
しかし「駄目だ」というわけです。何度説明しても駄目の一点張り。お互いに押し問答しているうちに感情的になって「建築基準法は何のためにあるのか!」「条文の裏にある法の精神というものを考えて下さい!」と声が上げました。するとその勢いに圧されたのか、担当者は折れて承認してくれたんです。
この他、高さ60m以上の高さの構造物は航空障害灯が必要とのことで、私が航空局に打ち合わせに行ってます。
建築現場事務所
──そして無事に建設に入ります。先生はどう関わられましたか?
工事は伊藤組土建が担当し、設計監理は久米建築事務所の担当となりましたから、私が現場にずっと常駐したのです。この時、席が本社から札幌に戻りました。当時、真駒内泉町に会社の寮があり、私はそこに住んでいました。毎日、定鉄バスで札幌駅へ、そこから国鉄バスで野幌へ行き、歩いて現場に通ったんです。
現場事務所は沢の水を引っぱって炊事だとか洗濯をしていたんですが、まかないのおばさんが水の便が悪いと言って苦労していましたよ。現場は当時、ホタルやサンショウウオのいるような場所で、伊藤組の若手がサンショウウオの卵を見つけ、池を掘って飼っていました。当時はそんな場所だったんです。
基礎工事の現場での井口先生(右端)
──建設も大変そうですね?
作る方は大変だったと思いますよ。同じ部材がひとつもないですから。鉄骨を担当した巴組の担当者が、同じ高さの鉄塔と比べて「8倍大変だった」と言っていました。
鉄骨の部材をつくるのに原寸大の図面を作るんです。大きいものですから、広い原寸場で大工さんの使う墨つぼで糸を張って書くのですが、担当者は汗を流して話していましたよ。
外板パネルを10枚取り付けたところで、突風が吹き、現場に取り付けてあった風速計が最大瞬間風速39mを記録したことがありました。建築途上の不安定な時期でしたが、何事もなく風は通り過ぎました。実験の通りで、道庁の担当者や伊藤組の所長らと喜び合いましたね。
鉄塔が立て終わったとき、担当されていた鳶の親方が管理事務所に私を訪ねてきて「ぜひ設計監督さんから感謝状をもらいたい」というのです。「この仕事は自分の誇りです」というので、感謝状を書いてあげました。
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